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最高裁判所第二小法廷 平成9年(行ツ)222号 判決

千葉市稲毛区穴川三丁目八番一六号

上告人

吉田代一郎

右訴訟代理人弁護士

葉山岳夫

中小路大

千葉市中央区祐光一丁目一番一号

被上告人

千葉東税務署長 土屋敦文

右指定代理人

深井剛良

右当事者間の東京高等裁判所平成八年(行コ)第一〇四号相続税更正処分取消等請求事件について、同裁判所が平成九年六月一二日に言い渡した判決に対し、上告人から上告があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人葉山岳夫、同中小路大の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)

(平成九年(行ツ)第二二二号 上告人 吉田代一郎)

上告代理人葉山岳夫、同中小路大の上告理由

○ 上告理由書記載の上告理由

第一点 法令違背

一 原審は、本件貸付信託及びワリコーは、全て無記名の有価証券であり、無記名有価証券の帰属については、証券の占有者以外の者が取得資金を支出したとか、占有者が売買などによりその所有権を第三者に移転した後引渡をせずに引き続き占有しているなどといった事情が認められない場合には、当該証券を現実に占有している者がその所有者であると認めるのが相当であると判示した。

二 しかし、無記名有価証券に化体されている債権は、無記名債権であり、当然、民法八六条三項が適用されてるのである。

この結果、右債権は動産とみなされるということになるが、これは、動産でない債権が動産たる証券と法律的運命を共にするということである。そして、かかる無記名債権の権利者は、証券の所有者である。

それでは、無記名有価証券の所有者は誰であるか。

無記名債権は動産とみなされるのであるから、証券の占有をする者は、証券の所有者と推定され、同時に、証券に化体されている権利の権利者と推定されることになる(民法一八八条)。

そして、ここでいう占有は、民法の占有理論に則ったものであり、原審が判示するように、現実の占有(直接占有)のみに限定されるわけではない。

三1 そして、本件貸付信託の受益証券は、代次郎が占有代理人として、上告人のために占有していたものであって、上告人が占有を有するのである。

代次郎が右証券につき、現実的に支配をしており、かつ、占有意思を有していたことは争いがない。そして、代次郎は上告人のために右証券を占有していたのであり、また、直接占有者たる代次郎と上告人との間に代理占有を裏付ける一定の契約的な事実関係も存在しているのである。

2 まず、代次郎は、甲第二〇号証の預かり証により、昭和五四年一二月九日、本件貸付信託の権利者が上告人であることを認め、受益証券を預かっている旨を表示している。

また、甲第四二号証は、安田信託銀行が作成した本件貸付信託の昭和六〇年三月二一日現在における明細書であるが、宛名として「吉田代次郎様」と書かれているものの、同一人(安田信託銀行の行員)の筆跡で、上告人の氏名及び住所が記載されている。この意味については、代次郎が受益証券を管理していたが、当該証券の権利者が上告人であるということと考えるのが素直である。

3 さらに、上告人が一貫して主張しているところであるが、上告人は代次郎に資産の運営管理を委託しており、右証券の管理もかかる事実関係の一環であった。

被上告人は、この点を否定しているが、代次郎名義の安田信託銀行千葉支店の普通預金口座に、上告人名義の土地(甲第八四号証、同八五号証)をモノレール建設用地として売却したさいの代金が混入しており、被上告人もその事実を認め、かつ、上告人の固有財産として処理していることは(甲第三九号証の一乃至三)、代次郎による上告人の資産の運営管理を認めたことに他ならないというべきである。

加えて、代次郎の死亡前に訴外中沢幸子が代次郎が保管していた印鑑証明などの重要書類を上告人に引き渡していることは、生前の代次郎の意思がどこにあったのかを裏付けるものということができる。

4 また、被上告人は、上告人と代次郎との関係が冷却しており、代次郎において、上告人の資産を預かり運用するような動機がないとも主張している。

しかし、被上告人の主張のとおりであるとするならば、代次郎が最も頼りにしていたのは訴外中沢幸子ということになるが、代次郎が中沢の名義を使って利殖を行った形跡がない。代次郎は、主として、上告人の名義を使っていた。仮に、代次郎が上告人や本妻と対立しており、唯一中沢を頼りにしていたのであれば、中沢の名義を使って利殖をするはずである。

そして、千葉地方裁判所昭和四八年(ワ)第一二九号土地建物始期付所有権移転仮登記抹消登記手続請求事件において、代次郎は、原告であった上告人側の証人として出廷し、代次郎の証言が有利な証拠の一つとなって、上告人が勝訴している(判決言渡は昭和五一年九月二七日。甲第三六号証)。

さらに、上告人が、代次郎が経営に関与していた八州建設株式会社に勤務しており(甲第三八号証)、上告人の手帳からも、上告人と代次郎との親子の交流があったことが明らかである(甲第四四号証)。

5 仮に、代次郎が当初から上告人のために右証券を占有していなかったとしても、代次郎は、甲第二〇号証の預り証により、昭和五四年一二月九日、本件貸付信託の権利者が上告人であることを認め、受益証券を預かっている旨を表示しているから、このときに、上告人を間接占有者とする占有改定が行われたものである。

なお、占有改定が認められるべき合意としては、自己占有から他主・直接占有への合意による改定、広く、代理占有関係の成立を結果する合意であれば足りるから(大判大正四年九月二九日明録二一輯一五三二頁)、甲第二〇号証の合意がそれに該当することは明らかである。

6(一) 以上の点に関して、念証(甲第三四号証)、念証(甲第七八号証)及び、念証解約依頼書(甲第七九号証)の意味についても検討しておく必要がある。

(二) 念証(甲第三四号証)は、金二億五〇〇〇万円の無記名貸付信託について、「私」の代理人である吉田功子が、予備受益者を上告人及び上告人の長男である吉田国代志として取り扱うよう依頼し、昭和五〇年一二月一一日、安田信託銀行千葉支店が上告人及び吉田国代志に対し、かかる取扱いを引き受けたというものである。

(三) 念証(甲第七八号証)は、金五〇〇〇万円の無記名貸付信託について、「私」の代理人である代次郎が、予備受益者を訴外中沢として取り扱うよう依頼し、昭和五一年八月二一日、安田信託銀行千葉支店が訴外中沢に対し、かかる取扱いを引き受けたというものでる。念証解約依頼書(甲第七九号証)は、代次郎及び訴外中沢が安田信託銀行千葉支店に対し、昭和五四年三月六日、甲第七八号証の念書を無効としてくれるよう依頼したものである。

(四) 甲第三四号証について、訴外中沢は、甲第一一〇号証の六丁裏七行目以下において、甲第三四号証(甲第一一〇号証の記述では、乙第四〇号証となっている。)に代次郎の名前が出ていないことについて、代次郎が税務署に見つかったときに税金を支払わないようにしたと説明した旨を述べている。しかし、そのような趣旨であるならば、甲第三四号証の作成後、一年もたたないうちに作成された甲第七八号証において、代次郎が「私」の代理人として名前を出していることがおかしくなる。また、このような小細工によって、税金の支払を免れることができるはずはない。

(五) むしろ、甲第三四号証及び甲第七八号証については、予備受益者として指名された者が貸付信託の権利者であることを明らかにしたものとみるべきである。このように考えると、無記名貸付信託の利点である無記名性を維持することもできるし、予備受益者として指名された者も、貸付信託について権利を確保することができるのである。

すなわち、甲第三四号証は、上告人が本件貸付信託の受益証券の占有を有していたことの妨げとはならず、逆に、その事実を裏付けるものということができる。

しかるに、原審は、本件占有につき直接占有と即断し、代理占有(間接占有)を根拠づける前記証拠が存在するにもかかわらず、これを無視して代理占有に対する判断を遺脱し、もって、民法上の占有に関する法令解釈を誤るにいたった。

四 よって、原審の判断には、判決に影響を及ぼすことの明かな法令解釈の誤りがあり、破棄を免れないものである。

第二点 法令違背(最高裁昭和三四年一月八日判決違反)

一 原審は、本件貸付信託及びワリコーの取得原資となった上告人名義の不動産につき、上告人名義の不動産に関する売買契約書、権利書及び実印などは全て代次郎が所持しており、右不動産を売却する際の交渉に上告人が自ら当たることはなくすべて代次郎が行っていたものであることに加えて、前記のとおり、代次郎は、千葉銀行の株式を志げや中沢らの名義で取得したり、その名義を変更したり、上告人を含む家族、親族、知人、架空の名義あるいは無記名で定期預金をしたりしていたことに照らすと、右のように代次郎がその出捐によって取得した不動産を上告人名義にしていたとはいえ、そのことから、代次郎がこれらの不動産を上告人に贈与したものと認めることは到底できないと判断した。

二 しかし、最高裁昭和三四年一月八日民集一三巻一号一項は、不動産の所有名義人として登記されている者は所有を推定されるものであり、これを争うものが自己の主張事実を立証して、右推定を覆す責任を負担すると判示している。

すなわち、登記による推定の適用について、明文の規定はないが、権利の所在につき法律上の権利推定を定めたものと解釈するのが最高裁判所、通説(末川「物件法」一五〇頁、我妻栄「新訂物権法」二四五頁、柚木馨「判例物権法総論」三一四頁など)である。

一般に登記簿上に存在する権利者の記載は一応真実に合致するものと推定されるのであり、所有権を主張する者は、推定の前提事実である登記を主張立証すれば足り、相手方において、登記簿上の名義人になんら所有権取得原因事実が存在しないことを証明しなければ(抗弁事実を立証しなければ)、その推定を覆せないとするのである。

三 ところが、原審は、この理を全く考慮せず、所有名義人である上告人が不動産の所有者であると推定されるという前提に立っていないのである。

原審は、右不動産が代次郎の出捐であること(第一審判決一四丁表以下)、そして、上告人名義となっている右不動産を代次郎が管理していたこと(同一四丁裏以下)に触れた後、上告人が代次郎から右不動産を贈与されたものであるという、上告人の主張の判断に進んでいる(同一五丁裏以下及び、原審判決六丁裏以下)。

しかし、原審は、所有名義人である上告人が、右不動産の権利者であると推定されることについては一切触れないまま、一方的に、代次郎から上告人に対する贈与の事実につき判断しているのである。そして、当該贈与の事実は認定することができないとし、さらに、代次郎が便宜的に不動産の名義を上告人の名義に移転したり借用したりしていたものであると判示しているのである。

四1 このような原審の判断は、登記上の所有名義人であり、所有権利者と推定されるべき上告人に対して、所有権の証明責任を全面的に負わせているものであって、前記の最高裁昭和三四年一月八日判決に反し、登記による権利推定の解釈適用を誤ったものというほかないのである。

上告人名義の所有権登記が存在する以上、右土地については、登記名義人である上告人の所有にかかるものと推定されるべきであり、被上告人において、所有名義人である上告人につきなんらの所有権取得原因が存在しないことを証明しなければ、上告人が所有権者であることを覆すことはできないのである。

2 そこで、原審は、右の点を最大の争点として審理し、上告人の所有権の存在の推定を覆すに足りる十分な主張と立証がなされているかを検討すべきであったのである。しかし、原判決は、この点の検討をしていない。

(一) まず、主張の点から検討すると、被上告人の主張は、大略すると、代次郎は株式を他人名義で取得したり名義を変更したり、定期預金の名義を偽ったのだから、上告人名義の不動産所有権登記は不動産を上告人に贈与するために為したものとはいえないという一般論的・抽象的主張であり、具体的・個々的な不動産についての具体的・個々的主張ではなく、極めて抽象的で間接的主張であり、所詮「事情」の主張に過ぎない。

このような被上告人の主張は、上告人の所有権についての権利推定を覆すに足りる主張として適切なものということはできず、主張自体失当である。被上告人は、右不動産について、取得原因事実がないことを個々的に主張すべきなのである。

(二) 仮に、右のとおり主張自体失当でないとしても、権利推定を覆すに足りる反証として十分な立証がなされているとはいえない。これは、「法令の誤解」(登記の権利推定に関する法的解釈を正当に理解しない結果、これを事件に適用しない場合)があり、然ずとするも「法令適用上の誤り」(法令そのものについて前記法令の誤解がなくとも、具体的な場合にこれを当てはめるについて誤りを犯すこと)が存在し、前掲最高裁判例及び通説に反した重大なる法令の違背が存在するのである。

原判決は前記の如く、「代次郎は、千葉銀行の株式を志げや中沢らの名義で取得したり、その名義を変更したり、上告人を含む家族、親族、知人、架空の名義あるいは無記名で定期預金をしたりしていたことに照らすと」と判示したうえ、「代次郎がこれらの不動産を上告人に贈与したものと認めることは到底できない」と判断した。

しかし、「千葉銀行の株式を志げや中沢らの名義で取得したり、その名義を変更したり、上告人を含む家族、親族、知人、架空の名義あるいは無記名で定期預金をした」という事実を認定しただけで、前記の権利推定を覆すに足りる反証ということはできない。右認定事実は、極めて一般的抽象的かつ曖昧なものであり、代次郎において、そのような行為があったからといって、代次郎が上告人に対して贈与をしなかった事実を証明し、あるいは推認させるものではないからである。

また、原審は、上告人がその所有を主張する不動産の中、贈与契約書が存在するものがあるにもかかわらず、これを全く無視し、第一審判決中の「贈与に関する契約書等の書類が作成されたことは認められないし」との部分を単に削除し、贈与の事実は認められないと判断しているのである。

(三) 以上のとおり、右不動産について上告人が所有権者でないことの主張立証がつくされていないのであるから、前掲最高裁判決に従うならば、右不動産の所有権者は上告人と認定されるべきものであり、この結果として、本件貸付信託及びワリコーの取得原資は上告人の固有財産から形成されたことになる。

五 また、仮に、前掲最高裁判決が登記の記載事実につき、事実上の推定を認めたものであったとしても、被上告人において、十分な反証がなされているとはいえないのである。

六 よって、原審のなした、前掲最高裁判決に反する判断は、訴訟の結果に重大な影響を及ぼすものであるから、この点により、原判決は破棄を免れないのである。

第三点 経験則違反

一 原審は、前述のとおり、代次郎がその出捐によって取得した不動産を上告人名義にしていたとはいえ、そのことから、代次郎がこれらの不動産を上告人に贈与したものと認めることは到底できない、そして、その所有名義人が上告人となっているのは、代次郎が便宜的に不動産の名義を上告人の名義に移転したり借用したりしていたものであると判断している。

しかし、右判断は、明らかに経験則に反するものである。

二 千葉地方裁判所昭和四八年(ワ)第一二九号土地建物始期付所有権利移転仮登記抹消登記手続請求事件は、原告が、上告人及び上告人の長男である吉田国代志、被告が、代次郎の子で上告人とは腹違いのきょうだいにあたる渡辺四郎及び渡辺せつであった。そして、上告人名義の不動産(原審が代次郎の所有物であると認定した不動産が含まれている)に設定された始期付き所有権移転仮登記などの抹消を求めたものである。

右事件については、第一審の千葉地方裁判所は、長男代次郎の家督相続以前、国次郎がその孫に当たる上告人(当時未だ出生していなかった)に贈与する旨の遺言がなされていたため、代次郎がいったんは自己の所有名義に登記したがこれを上告人名義に変更した旨が認定され、上告人らが勝訴しているのである。右事件については、足掛け四年にわたって審理がなされ、四人の証人尋問、原告本人尋問も実施されていることからもわかるように、当事者間で本格的に争われた事件であり、決してなれ合い訴訟ではないのである。

しかるに、原審は、右判決の存在を無視し、前記訴訟によって確定された上告人の所有権を否定したのである。

三 また、原審は、代次郎がその出捐によって取得した不動産については、株式や定期預金と異なり、そのほとんどを長男である上告人の名義にしていたことをとらえて、いずれは右不動産を上告人に贈与するつもりであったことが窺われないではないが、そのことから直ちに代次郎が取得した時に贈与があったものと認めることができないと判示している。

しかし、代次郎は、吉田家を継ぐ長男である上告人に不動産を集中させたことは明らかであり、極一部の不動産を除き、上告人を所有名義人としたまま、一切変更していないのである。この事実は、代次郎が右不動産を上告人に贈与したことを示すもの以外のなにものでもない。

これをもって、代次郎がいずれは右不動産を上告人に贈与するつもりであったことが窺われる程度であると判断した原審の判示は、明らかに経験法則に反するものである。

また、上告人は、代次郎の資金により取得された上告人名義の不動産につき、贈与税を納付しているのである。また、仮に、贈与税の納付についての証拠がないからといって、代次郎による贈与の事実を否定するのは余りにも強引な事実認定である。なぜなら、民法上の贈与は、贈与税の支払を効力の発生要件とするものでないからである。

四 さらに、被上告人は、右不動産について、相続税を課していないばかりか、上告人名義の不動産の売却代金が代次郎の預金口座に混入していたことを認めていたのである。

すなわち、代次郎名義の安田信託銀行千葉支店の普通預金口座に、上告人名義の土地(甲第八四号証、同八五号証)をモノレール建設用地として売却したさいの代金が混入しており、被上告人もその事実を認め、かつ、上告人の固有財産として処理しているのである。(甲第三九号証の一乃至三)

五 以上のとおり、原審の判断は、明らかに経験法則に反するものであり、法令違反の違法がある。

第四点 採証法則違反

一 原審は、原審において証人として取り調べた中沢幸子の証言を信用できるものとして採用し、本件有価証券の原資は、故代次郎が千葉県建設業協会における地位を利用して談合を行った結果として得られた談合金や、故代次郎が脱税をしつつ利殖したものであるとか認定している。

しかしながら、訴外中沢の証言を信用できるものとして採用したことは、採証法則に違反するものであり、かかる原審の判断方法は違法であり、破棄を免れない。

二 訴外中沢は、前記の千葉地方裁判所昭和四八年(ワ)第一二九号土地建物始期付所有権移転仮登記抹消登記手続請求事件の実質的な蒸し返しである同庁昭和六二年(ワ)第一三五五事件(上告人を被告とする所有権移転登記手続請求事件であり、与次郎名義の不動産がもともと代次郎の者であったとの主張がなされている事件・甲第一三二号証)において、当該事件の原告たる訴外渡辺せつに協力し、乙第六〇号証などの資料を提供し、自らも証人として出廷している。そればかりか。訴外中沢は、本件ワリコーのうち、金一五億五一〇〇万円を自己の占有下におさめ、轟町の建物に居住し、かつ、それらが自己の所有であると主張し、上告人から訴訟を提起されている人物である。

渡辺せつらは、右第一三五五事件において、上告人名義の不動産が代次郎の財産であると主張し、相続分に応じた所有権移転登記を求めているものである(甲第一三二号証)。一方、訴外中沢は、上告人からの訴えの提起に対して、ワリコーも轟町の建物も代次郎の財産であり、権利者たる代次郎から贈与を受けたのだと主張している。

このように、渡辺せつ及び訴外中沢は、上告人名義の不動産及び本件有価証券が代次郎の所有でなければ自己の権利主張ができなくなる立場にあり、利害が共通しているのである。

三 訴外中沢は、本件ワリコーのうち、金一億五一〇〇万円分につき代次郎から贈与を受けたと証言した。しかし、訴外中沢が証拠書類として保管している第一二三号証(証明書)では、金一億五六〇〇万円のワリコーが訴外中沢のものであるとされている。また、訴外中沢は、税務調査の際には、金一億六〇〇〇万円のワリコーを代次郎からもらったと供述している。

このように、訴外中沢がもらったと称している金額に齟齬が存在している。

第二に、訴外中沢は、右ワリコーをいつ贈与されたのかにつき、具体的な証言をすることができなかった。金一億五一〇〇万円もの大金をいつもらったかという重大なことについて記憶がないというのは極めて不自然である。そればかりか、訴外中沢は、代次郎の死後にワリコーが自分のものになったと証言している。これは、全くの矛盾であり、訴外中沢の証言及び供述の信用性を強く疑わせるものである。

第三に、訴外中沢は、繰り返し同じ質問をされた後に、ようやく、自分が権利を主張しているワリコーは、代次郎にもらったものが書き換えられていったものだと証言した。しかし、中沢が権利を主張しているワリコーには、証明書(甲第一二三号証)の作成日である昭和五六年二月二七日の段階で未だ設定されていなかったものが含まれているのである。すなわち、訴外中沢の証言は虚偽である。

第四に、訴外中沢は、昭和六二年一月二〇日すぎころ、本件ワリコー全部の債権証書を占有するようになったと証言した。しかし、昭和六二年一月二〇日は、代次郎が入院した日であるから、訴外中沢は、代次郎が倒れてから、すぐに本件ワリコーの債権証書の占有を取得したということになる。このことは、訴外中沢が代次郎の病気に乗じて、上告人の財産を自己のものにせんと図ったことの証拠の一つである。

第五に、訴外中沢は、本件ワリコーは上告人のものではないから、上告人は、代次郎の死後に貸金庫を開けるまで、ワリコーの存在すら知らなかったはずだと供述していた(乙第三号証の一九丁)。

しかし、本件ワリコーは、上告人の固有の財産であるから、代次郎から運用状況について説明を受けており、代次郎の生前からその存在を知っていたものである。

すなわち、甲第一三六号証は、一三五五事件の原告の一人である上告人の異母弟の原告本人尋問調書であるが、その四丁裏の一〇行以下によると、上告人が、代次郎の遺産の分割協議のとき、本件ワリコーは代次郎の財産ではないと説明したことがわかる。分割協議書の作成日付は昭和六二年三月一二日であるから、少なくとも、この以前から、上告人は、本件ワリコーの存在を知っていたのである。

また、上告人は、分割協議後の昭和六二年四月八日、代次郎の貸金庫を開扉し、銀行の支店長に対して、「父に預けておいた債券その他重要な書類がなくなっている。」と申し出たのである(甲第五六号証の三)。この債券とは、本件ワリコーを含むものである。

このように、上告人は、本件ワリコーの存在を代次郎の生前から知っていたのであり、訴外中沢の供述は事実に反するものである。

以上のような訴外中沢の供述からすると、訴外中沢は、上告人が本件ワリコーの存在を知らないと思いこんでいたからこそ、本件ワリコー全部の占有を取得し、その一部について権利を主張しはじめた疑いが濃厚である。また、甲第一二三号証も、訴外中沢によって偽造された疑いがある。

四 訴外中沢は、代次郎が病気に倒れた後、代次郎の貸金庫を二回開けて、貸金庫に千葉銀行の株券などを預けたと証言した。しかし、この訴外中沢の証言については、大いに疑問がある。

まず、代次郎は、安田信託銀行千葉支店に三つの貸金庫を持っており、そのうちの「A―2315」という貸金庫については、昭和五五年九月二四日付けで訴外中沢を代理人とする届出が銀行に提出されているが、その届出印は代次郎が管理しており、代次郎が病気で倒れるまでは、訴外中沢が単独で貸金庫を開けたことはなかったのである。

その余の「A―1103」及び「A―1906」の番号の代次郎の貸金庫については、昭和六二年一月二〇日付けの代理人届けが提出されるまで、訴外中沢を代理人とするという届出はなされていなかった。

そして、昭和六二年一月二〇日は、代次郎が朝から入院した日である。訴外中沢は、税務署に対して、銀行員に自宅に来てもらって、貸金庫の代理人関係届に代次郎が署名したと供述していたが、(乙第二号証)、これは事実に反するのである。証人調べにおいて、訴外中沢は、病院のベッドで代次郎が署名をしたかもしれないと証言したが、乙第二号証は、昭和六三年の作成であり、訴外中沢が記憶違いをするということは考えられない。そもそも、代次郎が入院して大変な状況になっているそのときに、貸金庫の代理人関係届を急遽作成するというのは不自然である。また、訴外中沢は、甲第一一〇号証において、代理人関係届の作成の必要性について十分な説明をしていない。

第二に、訴外中沢が代理人として貸金庫を開けた日についても、重大な疑問が存する。

訴外中沢が貸金庫を開けたのは、昭和六二年一月二七日及び同年二月三日であるが、その日はいずれも、代次郎の病気が悪化したときである。

上告人には、訴外中沢が代次郎の具合が悪いのにつけ込んで、勝手に貸金庫の代理人関係届を作成して、勝手に貸金庫を開けたと推測することは十分可能である。

第三に、銀行員の話によると、訴外中沢は、貸金庫から物を取り出しているのであり、訴外中沢の貸金庫に物を預けたのだという証言は事実に反する。

第四に、訴外中沢は、代次郎が倒れて入院したことに関し、上告人らに対して、正確な情報を伝えず、故意に軽症であるかのように装い、病気で弱っている代次郎に対して満足な看護をせず、代次郎の貸金庫を開けた日である昭和六二年一月二七日の翌日まで、上告人らに代次郎の深刻な病状を隠していたのである。

このような経過からすると、訴外中沢は、上告人らに代次郎の病状を隠し、代次郎の貸金庫を密かに開扉し、重要書類を持ち出し、自己の有利なものと不利なものを選別して、自己にとって不都合でないものを二月三日に貸金庫に戻したのではないかと推測される。本件ワリコーも、訴外中沢において、上告人がその存在をしらないはずと思いこんでいたからこそ、貸金庫から取り出して自己の占有下に置いたものと考えることができる。

五 訴外中沢は、上告人の指示により、昭和六二年二月末ころに、代次郎の不正行為に関わる書類を焼却したと証言した。

しかし、訴外中沢は、代次郎が行っていた同人あるいは上告人の財産の管理運営を知る立場にはなかった。また、上告人と訴外中沢は、親密な関係になく、むしろ対立関係があったというべきである。このような状況からすると、上告人が訴外中沢に対して、不利な証拠の焼却を指示するはずがないし、仮に、そのような指示があったとしても、訴外中沢において、何が不利かという判断もできないし、そもそも、訴外中沢が上告人の指示に従うことはありえない。また、訴外中沢が焼却処分をしたのは、代次郎の死後間もなくであり、時期が早すぎる。これは、税務署の調査よりは、上告人による追及を逃れるためにおこなったことと考えざるを得ない。

訴外中沢が書類の焼却をしたことは有り得ることであり、現実に、代次郎が保管していた書類の一部がなくなっていることからすると、訴外中沢が供述するように、同女が書類を焼却したと考えられる。しかし、乙第六〇号証や甲第一二三号証のような書類が焼却されずに残っていることからすると、訴外中沢が書類を焼却したのは、自己に不利な書類を処分することが目的であったと考えるのが自然である。

六 訴外中沢は、代次郎の自宅に一つしかなかった金庫が自分のものであると主張したり、高価な家財道具を代次郎の自宅から持ち出したりしている。それだけにとどまらず、訴外中沢の現在の住所地であり、同訴外人の親族が居住している轟町の建物の敷地(甲第七一号証)及び安田信託の社員寮の敷地(甲第一一二号証)に設定されている、訴外中沢を債権者とする抵当権につき、それが実体のない架空のものであることを知りつつ、実体があるかのように主張し、さらに甲第一〇〇号証の債務承認書なる書類を偽造しているのである(甲第一〇二号証の一及び二)。

七 以上のとおり、訴外中沢の供述は、上告人の財産を自己のものにせんとしてなしているものであり、かつ、各供述の矛盾や書証との不整合などからいっても、信用することはできないものであり、これを事実認定の資料として採用することは、明らかに採証法則に反するものである。

○ 上告理由補充書記載の上告理由

一、重大なる法令の解釈と適用違背(判断上の過誤)(総論)

1、原判決には民法第一八八条(権利適法の推定)、第一七七条(不動産物件の対抗要件)の各解釈と適用の両方につき誤りを犯しており、その結果「判断上の過誤」を生じ原判決中の法律判断の不当を招来したものである。

2、著しい釈明権の不行使と審理不尽(手続上の過誤)

原判決には著しい釈明権の不行使と審理不尽があり、後記の如く本件貸付信託、ワリコーの原資の基礎としている不動産の所有権の存否につき殆ど審理をしていない。

本件は行政訴訟であるとしても、本件貸付信託、ワリコーの原資を論じ審理することこそ重大であるのに、その点につき原審は十分な審理をしていない。

3、よって、以下、1の「重大なる法令の解釈と適用違背(判断上の過誤)」と2「著しい釈明権の不行使と審理不尽(手続上の過誤)」について二、三において述べる。

二、重大なる法令の解釈と適用違背(判断上の過誤)(各論)以下、1において「重大なる法令の解釈違背」、2において「重大なる法令の適用違背」についてそれぞれ述べる。

1、「重大なる法令の解釈違背」について

原判決には(民法第一七七条)、第一八八条の解釈につき誤りがある。

(一)占有もしくは登記の推定の適用については民法第一八八条は法律上の権利推定を定めたものと解釈するのが通説(末川「物件法」一五〇頁、我妻栄「物件法」一五四頁、柚木馨「判例物件法総論三一四頁」、「民事訴訟法上巻」一七一頁)、最高裁判例である。

一般に登記簿上に存在する権利者の記載は一応真実に合致するものと推定されるのであり、所有権を主張するものは推定の前提事実である登記を主張立証すれば足り、相手方において、登記簿上に存する権利者になんらの所有権取得原因事実が存在しないことを証明しなければ(抗弁事実を立証しなければ)推定を覆せないとするのが通説、最高裁判例である。

最高裁判所においても最判昭三四・一・八民集二〇―五―一〇一一においてそれを肯定している。登記簿上の所有名義人は反証のない限り右不動産を所有するものと推定すべきであるとする。

この理論はドイツ民法においても八九一条に明文をもって規定されているとおり所有権取得原因が存在しないことが証明されない限り右推定は覆されない。

(二) では、どうして原判決には民法第一七七条、第一八八条の重大なる法令の解釈違背があることを本件行政訴訟において主張するかといえば、第一審判決も第二審判(原判決)も本件の争点となっている貸付信託、ワリコーが如何なる財産的根拠つまり原資に基づいて作られたものであるかということ、上告人に不動産の所有権が帰属するか否かが最大の論点であるところ、第一審判決はもとより原判決はこの最大の論点について公平な結果を左右する最大の事実認定に当たり重大なる法令の解釈違背を犯しており、その点の重大なる法令違背は民法第一七七条、第一八八条を巡る前記最高裁判決、通説に反する極めて重大なる法令違背なのである。次の如き法令違背を犯した原判決は不当であること当然である。

その法令違背は後記の如く「法令の過誤」であり、然らずとするも「法令適用上の過誤」に該当する。つまり、

(1) 原判決を考察すると、四丁目裏四行目から五丁目表三行目までに「……いたものであることに加えて、前記のとおり、代次郎は、千葉銀行の株式を志げや中沢らの名義で取得したり、その名義を変更したり、控訴人を含む家族、親族、知人、架空の名義あるいは無記名で定期預金をしたりしていたことに照らすと右のように代次郎がその出捐によって取得した不動産を控訴人名義にしていたとはいえ、そのことから、代次郎がこれらの不動産を控訴人に贈与したものと認めることは到底できない(なお、代次郎は、その出捐によって取得した不動産については、株式や定期預金と異なり、そのほとんどを長男である控訴人の名義にしていたことからすると、いずれは右不動産を控訴人に贈与するつもりであったことが窺えないではないが、そのことから直ちに代次郎が取得した時に贈与があったものと認めることができないのはいうまでもない。)」とある。

(2) この点にこそ、原判決には法令違背を犯している。

イ、原判決は「代次郎が取得した不動産を控訴人名義にしていたとはいえ、そのことから、代次郎がこれら不動産を控訴人に贈与したものと認めることができない」と判示する。

ロ、しかし、この判断は重大なる法令違背である。

つまり、前掲最高裁判例、通説からすれば上告人名義の所有権の所有権登記が存在する以上、登記簿上に存在する権利者である上告人の所有と推定されるべきであり、登記簿上に存する権利者である上告人になんらの所有権取得原因(本件においては贈与)が存在しないことを被上告人が証明しなければ登記簿上の権利者である上告人の所有権を覆すことができないのである。

ハ、とするならば、原審は当然前掲最高裁判例、通説を知っている筈であるから、この点(登記簿上の所有名義人である上告人の所有でないことの反証の立証)を最大の争点として審理し、前掲最高裁判例、通説の理論による上告人の所有権の存在の推定を覆すに足りる十分な主張と十分な立証がなされているかを検討すべきであった。しかし、原判決はこの点の検討をしていない。

a そこで、主張の点から検討すると、被上告人の主張は大略すると代次郎は株式を他人名義で取得したり名義を変更したり、定期預金を各種名義でしたのだから、上告人名義の不動産所有権登記は不動産を上告人に贈与したといえないという一般論的抽象的主張であり具体的個々的不動産についての具体的個々的主張でなく極めて抽象的で間接的主張であり、所詮「事情」の主張なのでる。

では、被上告人のこの主張が前掲最高裁判例、通説による上告人の不動産についての権利推定を覆すに主張自体をして適切なものかどうか。

答えは「否」である。上告人の「権利推定」を覆すためには被上告人は主張自体として不動産取得原因事実がないことを個々的に主張すべきである(この点原判決には、この点の釈明権の行使をせず釈明権の不行使と同不行使による審理不尽がある)。

しかし、この点の被上告人の主張は存在しない、かかる具体的個別的主張をしなかったことは本件不動産の中には贈与契約書が明確に存在するものもあるので、その点を認識していた被上告人が具体的個別的な主張ができなかったと考える。

そして、第一審判決、原判決もあえてこの点に触れず無視し前掲最高裁判例、通説に触れず通り過ぎようとする判決をなしていることは歴然としている。

このように被上告人の主張は「権利推定」を覆す主張としては主張自体失当である。

b 仮に、右主張で十分であるとして、では「反証」として十分な立証があったのであろうか、前掲最高裁判例、通説どおり「権利推定」を覆すに足りる立証があったのだろうか。

答えは「否」である。

原判決の各立証では以下検討するように「権利推定」を覆すに足りる立証はなされていない。(この点において原判決はaの釈明権不行使の結果により審理不尽の違法を犯している)。

そこには「法令の誤解」(民法第一八八条の趣旨内容を正当に理解しない結果、これを事件に適用しない場合)があり、然ずとするも「法令適用上の誤り」(法令そのものについて前記法令の誤解がなくとも、具体的な場合にこれをあてはめるについて誤りを犯すこと)が存在し、前掲最高裁判例、通説に反した重大なる法令の違背が存在する。

それは単純な事実認定の誤りという側面の問題ではない。正に、前掲最高裁判例・通説の民法第一八八条「権利推定」を巡る重大な法令の違背の問題である。

ⅰ、原判決は前記の如く「代次郎は、千葉銀行の株式を志げや中沢らの名義で取得したり、その名義を変更したり、控訴人を含む家族、親族、知人、架空の名義あるいは無記名で定期預金をしたりしていたことに照らすと」と判示したうえ、「代次郎がこれらの不動産を控訴人に贈与したものと認めることはできない」と判示する。

そこで、原判決のこの認定が前掲最高裁判例・通説にそった「権利推定」を覆すに足りる反証といえるのだろうか」について検討する。

(ⅰ) まず、「銀行の株式を志げや中沢らの名義で取得したり、その名義を変更したり、家族、親族、知人、架空の名義あるいは無記名で定期預金をした」という事実認定で前記の如き「権利推定」を覆すに足りる反証があったといえるだろうか。

ありえないことである。つまり、津尾外事実認定は極めて一般的抽象的な曖昧なものであり反証といえるような具体的証拠による認定ではない。

又、原判決は「贈与したものと認めることは到底できない」と判示しているが、上告人が主張する不動産の中には明確に贈与契約書があるのにあえてそれを無視し前記の如き「贈与したものと認めることは到底できない」と本件で最大の争点である貸付信託、ワリコーの原資の根拠づけに関する事実認定について前掲最高裁判例・通説の「権利推定」に関する重大なる法令違背を明確に犯している。

本来反証たりうるには反証の対象たる具体的事実に直接的か又は間接的であっても密接な関係を有する事実に対し個々的に具体的になされなくては反証たる意味を持たないところ、原判決はこの点についてはなんら具体的個別的反証がないのに前記の如き「贈与したものと認めることは到底できない」との認定をしていることは、前掲最高裁判例・通説に反する重大なる法令上の違背を犯しているというべきである。

つまり、前記の如く最高裁判例・通説で指摘するような反証は本件では一切なく民法第一八八条の「権利推定」を覆すに足りる十分な立証があったということができない。原審は上告人名義の所有権の所有権登記が存在する以上登記簿上に存在する権利者である上告人の所有権と推定すべきであったのである。にも拘らず、前記の如く贈与契約書の存在をもあえて無視する不当、不公平を犯したうえ更に「上告人の不動産に対する所有権の帰属」を否定したことは、民法第一八八条の法令の解釈適用について重大な誤りを犯していることになる。

そして、その法令の解釈適用の誤りは、前記の如く上告人の所有権が贈与により取得されたことを明確にする贈与契約書が存在するのに、あえてそれを無視し(第一審判決は「贈与に関する契約書等の書類が作成されたことはみとめられないし」との部分を原判決は削除しているが、この事は原審があえてそれを無視したといえる)、民法第一八八条に関する前掲最高裁判例・通説の「権利推定」を本件に適用しなかったのであるから、法令の適用上の誤りより深い「法令の誤解」を犯しているといえる。

然らずとするも(法令の誤解がないとしても)、前記の如き事情下においては、具体的に本件を考察すると民法第一八八条の「権利推定」をあてはめ適用することについて誤りを犯しているといえる。

かかる「法令の誤解」「法令適用上の誤り」は前掲最高裁判例・通説に反した重大なる法令の違背であること明白である。

原判決は民法第一八八条の「権利推定」について明確に触れていないのは、何故か疑問であるが、原判決を検討すると前掲最高裁判例・通説の「権利推定」の理論を変更したのかと考えざるをえない判決といえる。原判決の如く「権利推定」の理論を変更することは終局的には不動産取引、その取引のうえに構築される法律関係を根底から揺るがすことになると考える。

民法第一八八条「権利の推定」については、上告人提出の甲第三六号証(千葉地方裁判所昭和四八年(ワ)第一二九号土地建物始期付所有権移転仮登記抹消登記手続請求事件判決)は「右登記簿の記載のとおり右各不動産は原告らの所有と推定されるものである」と判示している。この判決こそ前掲最高裁判例・通説に従った経験則上も妥当なものである。

この事件は上告人他一名が被相続人代次郎の子供である渡辺せつ(本件の乙第一七号証の申述者)他一名を被告として仮登記の抹消を求めたものであり、争点は本件で上告人が主張する不動産とほぼ一致する不動産が原告の所有に帰属するか否かであった。

審理は「権利推定」を覆せるか否かが争点となり、足掛け四年に亘りなされ、証人四人、原告本人尋問の他甲号証、乙号証が提出され本格的になされた結果、「権利推定」どおり実体的にも所有権は原告らに帰属することが認められたものである。前記の如く実体的審理を時間をかけてなし反証について具体的個別的に立証しようとしたが、「権利推定」を覆すに足りる反証はなかったのである。このように、上告人主張の不動産に対する所有権の帰属は動かすことのできない真実なのである。

翻って、本件を考えると、行政訴訟とはいえ不動産の帰属が最も重大な争点である本件において「権利推定」にも触れず所有権帰属の具体的個別的な主張も立証も尽さなかった原判決には重大なる法令違背が存在すること明白であるといわざるをえない。

2、「重大なる法令の適用違背」について

前記1で述べた如く、原判決は民法第一八八条の適用について(本件は行政訴訟であるが、民法第一八八条の適用が重要な論点となるべき事案である)は重大なる法令の適用違背を犯している。特に、原判決は「法令の誤解」とともに「法令適用上の誤り」を犯していること明白であり、前掲最高裁判例・通説による民法第一八八条「権利推定」に反する判断をした原判決に「重大なる法令の適用違背」があることは明白である。

三、著しい釈明権の不行使と審理不尽(手続上の過誤)

1、前掲最高裁判例・通説によれば民法第一八八条の「権利推定」からすれば不動産の所有権は上告人に帰属することが認められ、前記の如く「権利推定」を覆すべき主張と立証につき原審としては釈明権を行使して、「権利推定」を覆すに足りる具体的個別的主張を被上告人にさせるべきであったのになんら具体的個別的主張をさせていないことは著しい釈明権の不行使である。

又、「権利推定」を覆すに足りる反証についてもその立証を被上告人に促がさなかったことはこれも著しい釈明権の不行使である。

民法第一八八条の「権利推定」を待つまでもなく不動産登記簿上の所有名義人に不動産の所有権が帰属することは特段の事情のない限り経験則上認められるものであるが、ましてや民法第一八八条の「権利推定」の規定がある本件においては原審においては前記の各著しい釈明権の不行使は判決に影響を及ぼすべき重大なる法令の解釈、適用に関する手続上の過誤である。

2、更に、1の如き著しい釈明権の不行使があったことから民法第一八八条の「権利推定」を覆すに足りる証拠調べとその前提となる主張について更正な妥当な審理をしなかったのであるから判決に影響を及ぼすべき著しい審理不尽というべきである。

3、加えて、原判決は本件貸付信託が上告人のものである旨を認めた被相続人亡父の自署押印した甲第二〇号証(預り書)の採否について、第一審判決と同様に「簡単である」ことを理由として本件貸付信託が上告人の所有する個人財産であることを否定しているが、被相続人が自署し自ら押印したのであるから民事訴訟法第三二六条により甲第二〇号証は「真正に成立したもの」と推定されるところ、本件においては甲第二〇号証が「本人の意志に基づいたものでない」との点について反証を挙げる必要のある被上告人においてその反証を挙げていないので、甲第二〇号証は真正文書となり、よって、本件貸付信託は上告人の個人所有となる。

かかる次第であるから、原判決は民事訴訟法第三二六条の適用に関しても重大なる法令の適用の誤りと著しい釈明権の不行使、判決に影響を及ぼすべき審理不尽、採証法則の適用の誤りを犯していることになる。

四、以上の次第であるから、原判決には民事訴訟法第三九四条所定の「判決に影響を及ぼすと明かな法令の解釈と適用」について重大な違背があるので、原判決は取消され、上告人の請求は認容されるべきである。

以上

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